木曽川滑空場開設50周年の報告
都築 位兆(昭和52年卒)
50年前の11月に木曽川滑空場がオープンしました。学連教官の北尾さんの指導の下で、東海支部の大勢の学生たちが大変な苦労をして完成させました。その後、関西支部の参加、新しい宿舎の完成、滑走路の拡張などを経て、木曽川滑空場は東海関西地域の学生グライダースポーツの一大拠点に育ちました。
今春、東海関西の指導員の集まりで、木曽川滑空場を創ってから50年経つので何か記念にやろまいかという話が出て、開発の当事者だった岐大OBの山田さんと私が企画を担当しました。開発当時のOBOGから現役学生まで木曽川滑空場にかかわった人たちが集まり、北尾さんへの感謝の思いを込めて記念式典と祝賀会を行うことにしました。
11月16日、東海関西のOBOG90名が木曽川滑空場RWに集まり、木曽川滑空場の大恩人である北尾さんへの感謝を込めて、北尾さんの奥様をお迎えし記念式典を行いました。開発時の学生委員長纐纈さんに苦労を語ってもらい、懐かい思い出話に花を咲かせました。午後は北尾さんによく連れていってもらったナマズ料理の魚勝に移動し、懇親を深めました。ここでも滑空場開発委員の野口さんのお話を伺ったり、名城OBの辻村さんが編集したスライドショー、各大学が持ち寄った写真などを見て大いに盛り上がりました。久しぶりに集まったOBOGのために16日17日の両日、飛行会を実施し、50年ぶりに飛んで感激された大先輩もみえました。

昔話のネタ探しのため古い記録と写真を探そうと、名大航空部部誌“伊吹”、学連の機関紙“方向舵”を50年ぶりに読みました。調べていくうちに、自分達の苦労を今の学生たちは知らないだろうな、いや教えていなかったなあと反省し、滑空場開発の歴史を少しでも記録に残したい、若い人に伝えたいと思い、小冊子『木曽川滑空場開発物語』をまとめました。
改めて昔のことが思い出されます。昭和48年以前東海支部は近くに自由に飛べる飛行場所が無く、関東~四国に遠征していました。遠隔地に出向く経済的負担だけでなく、疲労による交通事故や墜落事故も経験し、何としても近くに滑空場を創らなければならないという機運が盛り上がりました。自前の滑空場を持つことが東海支部の悲願でした。長良川の牧草地、伊良湖岬、木曽川濃尾大橋下流、揖斐川輪之内町・・・と先輩たちは名古屋周辺を探し回ったそうです。牧草農家との調整、木曽川大堰の建設計画があり水没する、高圧線の計画がある、起伏が大きく造成工事費が高い、地盤が軟弱などなど多くの問題にぶち当たり挫折の連続だったようです。現滑空場の場所木曽川東海大橋下流に絞られた後でも、航空局との交渉、周辺の町役場との交渉で苦労がありました。北尾さんの熱意と人望でお役人も徐々に話を聞いてくれたそうです。
場所が決まり次は造成工事です。工務店の見積りでは整地前の雑木の伐採と草刈りで200万円、整地工事で200万円でした。部員数が100名の東海支部にとって手の届かない金額なので、半年間訓練合宿を中止し伐採と草刈りを自分たちでやることにしました。整地工事費捻出の為1人4万円のバイトのノルマを課しました。素人集団があの密林をやっつけるのは大変でした。このあたりの苦労話は、小冊子『木曽川滑空場開発物語』に記載されております。
1974年昭和49年11月、ついに木曽川滑空場が完成し1号機が飛んだ時、みんなの顔にいっぱいの笑顔が浮かび何とも言えぬ達成感を共有したことを思い出します。そしてこの50年間大きな事故もなく多くのグライダーパイロットを育ててくれた木曽川滑空場と、大恩人の北尾教官に感謝します。ありがとうございました。

