市川 明夫 氏(昭和47年卒)
宮崎に居を移して数年後、1988年にグライダーの飛行を再開しました。当時は九州の滑空事情から飛行はもっぱらオーストラリア、米国、フランスなど
海外に遠征しました。
2006年の鹿児島転勤を機に、コミューター空港としての運用が計画どおりには進んでいなかった枕崎空港をグライダーの拠点として検討し始め、
翌年には最初の飛行会を行いました。2008年、勤務先の第一工業大学にグライダー部を創設するとともにL-23 Super Blanikを装備しました。
2009年には代表を務める社会人の 枕崎グライダークラブを設立し、第一工大グライダー部との共同運航を開始しました。
枕崎空港も時代の流れに逆らえずグライダーの運航は2013年3月末で終了となりました。
現在は阿蘇観光牧場でのウィンチ曳航、高山の飛騨エアパークでの飛行機曳航を基本として活動を続けています。